成功したかに思われた開発重視の経営戦略

2011.08.15

K氏は日産の悪しき体質を変えるためには避けて通ることができない、長い時間と地道な努力を必要とするこれらの諸課題には目を向けようとする気配すら感じられなかった。それどころか、労使問題は過去のこと、いつまでもそんなことには目を向けてはいられないと、目に見える表面ずらの変革に取り組み始めたのである。日産が変わったとの印象を手っ取り早い方法で外部にわからせるには、商品を変えることである。K氏は、研究開発現場に裁量権を与え、ユニークなクルマづくりを指示した。その結果、『Be−1』にはじまり『セフィーロ』『シーマ』などがヒット、日産もおもしろいクルマをだすようになった、いままでの日産とは違うじやないか、という評価がでたことも事実である。K氏のイメージ作戦はものの見事に的中したわけだ。商品力の向上が日産車が売れた要因であることを否定はしない。しかし、それがすべてではなかったように思える。折しも、日本の景気は拡大局面を迎えた時期で、日産にかぎらず他社もこの時期から業績を上向かせていた。自動車業界は、つくれば売れる時代だったのである。日産は確かにこの時期、業績を向上させたが、ライバルといわれたトヨタも同様に業績を向上させている。したがって、トヨタとの差は一向に縮まる気配を見せなかった。日産車が売れた背景には、景気拡大という環境要因があったことを忘れてはならない。

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